

息子が9歳になりました。抽象的な概念への理解が深まり、外国や経済へと興味の幅が広がりつつあります。 そこで、今回の旅行はリゾート地ではなく、「その国のリアルな姿」を肌で感じてほしいと考え、家族でフィリピン・マニラを訪れました。 滞在したのはBGC(ボニファシオ・グローバル・シティ)というエリア。そこは、まるで丸の内かと見紛うほど、きれいな高層ビルが立ち並び、おしゃれなレストランやショッピングモールが揃う、洗練された街でした。

けれど、その印象は、ほんの少し街を離れただけで、大きく揺さぶられます。BGCを出てすぐの場所で、私たちは全く違う風景に出会いました。
狭く入り組んだ道、絡み合う電線、ひしめき合う小さな家々。裸足で駆け回る子どもたちと、生活のために路上で物を売る人々。同じ都市の、わずか数分しか離れていない場所に、その日常はありました。

夜には、道端で子どもたちが観光客に声をかけ、物を売る姿にも出会いました。車に向かって声をかけ、食べものを乞う子どもたちの姿も…。息子は驚き、言葉を失っていました。フィリピンでは、1年かけて稼ぐお金が、日本での1ヶ月分の給料に満たない人もいる。そんな現実を、ガイドさんが教えてくれました。

2日目、私たちはリサール公園や大聖堂、そして要塞(イントラムロス)を巡りました。リサール公園は、フィリピンが独立を果たした歴史を象徴する場所です。長く支配されてきた人々が、自らの国を取り戻したという事実に触れたとき、「国を持つ」ということの意味を、初めて実感した気がしました。
さらに、第二次世界大戦中に日本軍が立てこもっていたといわれる要塞では、壁に残る銃弾の跡や砲台を目にしました。1945年のマニラ市街戦で街の約8割が焼け野原になり、多くの民間人が犠牲になったことも、フィリピンの地で初めて知りました。日本では「被害」の側面から歴史を学ぶことが多いですが、ここでは日本が「加害」の側でもあったという現実を、突きつけられることになりました。

一方で、マニラの街には、日本文化への親しみも溢れていました。日本食レストラン、アニメグッズ、ポケモンやドラえもん、ワンピース。 「日本が好き」という気持ちが、さまざまな形で表現されていました。
息子は、この旅を振り返ってこう話してくれました。 「学校に行けない子がいるのはかわいそうだと思った。でも、いろんな国のおかげで、いろんな人がいて、食べものがあって、とても面白い国。教科書に載っていない日本とフィリピンの話もたくさんあって、こういうことはもっと知るべきだと思う。Zoomとかでつながって、こっちの生活を知ることはできるんじゃないかな」現実を悲観するだけでなく、その先にある「つながり」を見出そうとする柔軟さは、とても彼らしいものでした。

きれいな街と、そうでない街。豊かさと、厳しさ。過去の歴史と、今の暮らし。そのすべてが、同時に存在している場所。マニラで出会ったのは、「同じ世界の中にある、いくつもの現実」でした。
世界には、簡単に答えが出ない問題がたくさんあります。貧富の差、歴史の傷跡、国と国との関係。どれも、一人で解決できるものではありません。でも——「知ること」「話すこと」「つながろうとすること」そんな小さな一歩から、世界との距離は、少しずつ近づいていくのかもしれません。